第三話:バブルエコノミー


第三話、1990年。今から30年前。私はサラリーマンになっていた。日本はバブルの真っ只中だった。20代半ばのウブな男には魔物に魅入られた時代だった。仕事もそこそこに毎晩盛り場に繰り出して飲み歩き、ディスコで踊り惚け、女の子をナンパしまくった。宴の日々は永遠に続く!日本経済は無敵!株価も不動産も上がり続ける!誰もがそう信じて疑わなかった。


80年代に私は高校を卒業し、浪人し、地元の大学に入った。大学の四年間はろくすっぽ勉強もせず、バイトとバンドに明け暮れ、4年生の春になって慌てて就活に走り、幸運にも名古屋の会社に就職できた。周りからは奇跡だと言われた。ほんの5、6年前まで、スーツを着込んで毎朝会社勤めする自分を誰が想像できただろうか。立派な社会人になったね、と言われる度に、気恥ずかしさと同時に惨めさが襲った。本当にこれでよかったのかと。ロックや芝居で飯を食っていくチャンスは何度となくあったじゃないか。しかし環境は自分を容赦なく変えていく。社会人になって4年、高校時代のトンガリ具合から想像もつかないくらいごくごく普通のサラリーマンになり下がった。そして昭和から平成に元号が変わると、そこには酒池肉林の世界が待っていた。それが冒頭に書いたバブルエコノミーって奴だ。


この年の2月にローリング・ストーンズが初来日した。ポール・マッカートニーも大麻所持で国外退去になった1980年以来10年越しのソロ初来日を果たした。ストーンズの東京ドーム公演にははるばる名古屋から見に行った。アリーナのかなり後ろの席しか取れず、豆粒くらいのミック・ジャガーが遠くのステージでシャウトしていたという印象しかない。コンサートが期待外れで気に障ったのか、一緒に誘った女の子にその後のデートで事もなげにフラれてしまった。バブルの頃はそんな風に散財し、飲み散らかし、好き放題やり、挙句に虚しさだけが残った。あまりいい思い出がない。


日本の外は打って変わって激動の時代だった。前年のベルリンの壁崩壊で東西冷戦の雪解けを迎え、ソ連はゴルバチョフが大統領になって翌年91年のソ連解体に向けた身支度を始めた。南アフリカのネルソン・マンデラが27年ぶりに刑務所から釈放された。イラクがクェートに侵攻し、翌年に起こる湾岸戦争の端緒を開いた。日本の海部内閣が米軍支援に金は出すが、血は流さないとして批判を受けたあの戦争だ。東西冷戦の構図が崩れ、世界が新しい秩序を模索し、アパルトヘイト撤廃に象徴されるような人種・人権問題への注目が広がる中、日本人は終電後の流しのタクシーを1万円札ひらめかせて停めていた。実はこの年の初めから株価は急落し始め、バブルは確実に崩壊に向かっていたが、ジュリアナのお立ち台の上では流石に誰も気づかなかった。


蛇足だが最近注目を浴びているWHOは、この年はじめて同性愛を病気のリストから削除した。言い換えると1990年以前は、彼らの定義によると同性愛者は病人だったということだ。そのWHOが今、新型コレラウイルスのことを世界に向かってとやかく論評している。こんな組織、百害あって一利なしだ。

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