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蜜の味ふたたび


2020年5月22日

都市生活は密を作る。駅も、電車も、通りも、レストランも、ショッピングモールも、オフィスも。或る意味で密を作るから都市なのだ、とさえ言える。しかしこれからの世の中は少なからず様相が変わるだろう。これからは皆、こういう密な状態を生活の中から極力排除したいという心理が働くだろう。数カ月に及ぶアンチコロナ巣ごもり生活の反動で、この夏は街のあちこちで以前と同じ“懐かしい”密が戻ってくるかもしれない。しかし秋ごろから来ると言われるコロナ第二波で再び我々の日常が混迷すれば、今度こそ密を作る生活からはおさらばしたいという社会的コンセンサスが強固になるはずだ。

通勤ラッシュはもう勘弁、大人数が集まる食事は絶対行きたくない、バーゲンセールは反吐が出そう、大部屋で多人数が働く職場は通勤拒否。イベント、講習会、コンサートも満席状態は敬遠されるから、主催者は当然の如く密を作らない環境づくりを強いられる。「立錐の余地もないコンサート会場」なんてキャッチフレーズをネットに上げれば即炎上だ。ならばキャパシティをかなり下回る集客で甘んじるか、何等かの方法で分散開催を図るしかない。

密を作るのが都市だと言うなら、都市は都市でなくなる。都市は崩壊するのだ、これからは。

働き方も様変わりする。例えばホワイトカラーの場合、週2日出勤して残りの日はリモートで働くというようなスタイルが定着するかもしれない。家にスペースがない人は、近所にオフィスの代わりになる場所を探そうとするだろうから、お客が来ないカラオケボックスや飲食店なんかを改装してWi-Fiを設置し、時間貸しワーキングスペースにするのもありである。個人の家の余った部屋を借り上げて臨時オフィスとして貸し出す、というようなビジネスも出てくるかもしれない(否、もう存在しているのかもしれない)。

コンサートや講演会は会場に来る参加者を制限し、観客の距離を2m離してスカスカ状態で開催せざるを得ないだろう。しかしそれでは主催者の収益が下がる一方だから、公演の様子はWEBでもライブ配信し、自宅にいても観られるようにすることが常態化するだろう。当然ライブ配信は有料だが、会場で参加するよりもかなり安い料金設定にする。こういうスタイルが定着すれば、もしかしたら従来よりも参加料収入を増やすことができるかもしれない。リアルの会場キャパが3000席でチケット代が5000円なら、満杯で総収入は15百万円。仮に会場参加を1000人に減らして残りをWEB参加として集客するなら、5000人を各自の家のPC画面に座らせることができれば、チケット代を2000円まで下げても総収入は15百万円で変わらない。リアルの方はプレミアム感を強調すればチケット代はもっと高くできるはずなので、総収入はもっと増やせる可能性がある。3D配信技術が本格化すれば、WEBの方でももっとチケット代を高くできるだろう。

学校も同じ方法で対応することになる。1クラスを最大10名程度に減らし、教室の中で密を作らない状態にする。しかしそうなるとクラスの数が増えた分だけ教室の数が必要だし、先生の数も増やさなければいけない。それが難しいとなれば、全生徒が月曜から金曜まで毎日学校に来る現在のスタイルを改め、学校に行く日と行かない日をクラス毎に決めて一日の登校人数を減らすと共に、学校に行かない日は在宅でWEB画面越しに授業を聞くようにする。オフィスワークと同じで、家にスペースがない生徒には近所の学習塾等に協力してもらって個別WEBブースを設置し、そこで授業を受けてもらう。

密回避を目的としたこのような新しい生活スタイルへの変化は、やや不自由な面は否めないが、同時に地方経済にとっては恰好のプラス材料になりうる。

これからは休みの日も都会に出かけず地元で過ごしたい、楽しみたいと考える人が確実に増える。自然とふれあえる静かな公園、人ごみの無い博物館、農業体験、モノづくり体験、古跡巡り、地元名産品が食べられるお店等、そこに住んでいる人々が足を伸ばせばすぐに行ける“アンチ密の場”こそがこれからのトレンドだ。都市一極集中だった従来の人の流れと合わせて、モノもコトもだんだん地域内で回り始める。その地域だけで通用する“地域仮想通貨”が発行されたらさらに面白いだろう。そのことが地域内の更なる需要を生み出し、地域活性化を好循環させる起爆剤になれる。自分の住むエリアをもっと魅力的な「場」にすべく商店街を復活させ、名所旧跡訪ね歩きのマップを作り、地元ならではのモノ・コトを再発見してやすりで磨き、地域の隅々にネットで情報発信する。ネットだけに地域外や都市住人、外国人も興味を持って訪ねてくるかもしれない。そこでも地域仮想通貨は大いに活躍する。やっとこういう機会が訪れたのだ。この機を逃す手はない。絶好のチャンスだ。

ただひとつだけ断っておく。上述した「これからは」の世界は未来永劫を意味しない。せいぜい「これから3年くらいは」というニュアンスで考えておいていただきたい。

感染症は古代から現在に至るいつの時代にも存在した。中世ヨーロッパのペストにせよ、近代のスペイン風邪にせよ、昭和初期までの時代に日本で流行した結核にせよ、コロナの比ではない桁違いの感染者と死亡者が記録された。その度に人間は、今と同じように密を毛嫌いしたに違いない。少なくとも感染が収束した後しばらくの間は。

しかし人間は、忘れられない蜜の味のように、ほとぼりが冷めればまた元の密生活、都市生活を恋しく思いそこに戻っていった。今回も、3年程トラウマを引きずった後、結局はまた同じ蜜(密)に帰っていくだろう。ソーシャル・ディスタンシングが100年先も続くわけではない。それどころか3年後のローマのスペイン階段には観光客がひしめき合って座っているだろうし、ニューヨークのバーでは恋人同士がハグを繰り返しながらダンスしているだろう。新宿の歌舞伎町にも大勢の酔客がたむろしているに違いない。

言い換えると、この3年が勝負だ。この期間に変えるべきものは変えてしまわないといけない。

それにしても人間はタフで、懲りない動物だ。

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