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都市生活よ、さようなら


2020年6月19日

前回から一月近くブランクができてしまった。これではいけない。ここからは猛然と書く。短文でもいいので最低でも一週間に一回は遮二無二書いて更新する。本来それがブログだろうと思うし、そうでもしないとウチのようなマイナーなサイトなんか誰も見てくれない。頭ではそう思うのだが、どうもうまくいった試しがない。猛省して新規蒔き直しを図ろうと心に誓う。

コロナのせいで、かれこれ3か月間地元で暮らしている。埼玉県所沢市。東京の都心から1時間もかからないから、その気になれば新宿でも池袋でも電車一本で行けるが、そんなモチベーションはまったく湧かない。仕事の打合せでもWEBでやることがほとんど常識化した今、わざわざ支度を整えて電車に乗って出かけていく気力なんかない。

感染リスクはいまだ残るものの、そのことよりも時間とお金が節約できる方がありがたい。地元に居る時間が長くなれば、普段気にもしない近所の商店街をじっくり眺める時間もできる。小じゃれたレストランが出来たなあ、この店の自家製豆腐一度買ってみよう、あそこの団子屋は行列ができるほど人気の店なんだ等々、新鮮な発見ばかりで飽きない。そういう「ご近所探訪」のゆとりが自然に生まれてくる。だからコロナが終息しても、このままテレワークが定着するのはほぼ間違いない。

デスクワーカーの大半は、毎日朝から満員電車に揺られて通勤し、疲れた体を引き摺って帰宅する「昔」の生活スタイルには戻りたくないと思っている。上で書いた地元生活のゆとりもそうだが、同時に都会生活の疲れもひしひしと感じている。肉体を酷使してまで出かけないといけない「都会」というものの付加価値は何なのか?それが今問われている。

その昔は、会いたい人も、買いたいモノも、知りたい情報も、都会にしかないから皆そこに集まった。今は会いたい人はWEBで会える。買いたいものはWEBで買える。知りたい情報もWEBで調べられる。もはや都会が都会としてあり続けられるような、論旨明快な付加価値は何もない。最後に残るとすれば社交の場としての都会だ。もっと端的に言えば飲み食いと享楽のための都会。でもそれだって仕事場がすぐそこにあればこそ、だろう。都会から離れて仕事をしていれば、都会で外食する頻度は当然下がる。頻度が下がれば店も減るし、そこに勤める人も減らざるを得ない。昼も夜も就労人口が減るなら、近い将来、東京一極集中は自然解消されるだろう。そこにどれだけの仕事があるかが、都会の都会たる所以だ。東京や大阪は(少なくともデスクワーカーにとっては)もう必然的な仕事場ではなくなりつつある。

しかしそうであれば、その代わりにそれぞれの「地元」は昼も夜ももっと活気があって楽しい場所にならなければならない。都会とは異なる魅力を伴った、新しい「地元」を再生するにはどうすればよいのか?それについては次回くわしく論じてみたい。

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